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ザオ陸

20061126Sun

[]種を蒔く - 補足

について、ブックマークされたりしたので、ちょっと補足も兼ねて追記。


絵馬

Webに書かれた文章についてどういうものをイメージするか?については、私がネットを始めた頃に読んだ、平林さんの文章に大きく影響されました。

ここでは絵馬といった喩えで Webに書かれた文章を表現しています。

私はこのイメージは強く印象に残っていおり、今でもWebで文章を読んでいて、この絵馬のことを思い出すこともあります。ただ、当時は私は 読むだけで、自分のWebサイトを持っておらず、受動的な姿勢でこのイメージを持っていたのですが、実際に書いてみるとネットというのものには少し違った印象を受けるようにもなりました。



矢を放つ

最近は、はてなダイアリー、そしてこのグループでも、はてなネタやら、ブックマークの話、しなもんの話題なんかを主に書いていますが、当初ネットを始めたころに作ったページ http://shojisho.nobody.jp/ は、私の生まれ持っての障害である、小耳症のことについて書いていました。

生後4ヶ月の私
生後 間もない私の写真。右耳が小耳症

小耳症とは文字通り耳が小さいのが特徴で、約6,000人~10,000人に1人の割合で発生するこの病気については、なかなか情報が少なく、また Webサイトを持っている人もあまり多くはありませんでした。

私がWebサイトを開設した当時は、小耳症のお子さんを持つ親同士の交流スペースなどはいくつかあったものの、管理者自身が小耳症である、というWebサイトは珍しかったですね。


そういう事もあって、決してアクセス数は大きくなかったものの*1、検索なんかでは対象となる絶対数が少ないため割と上位になってしまい、それがきっかけでメールなどの反響がありました。

google:小耳症

私自身もそうだったのですが、「ネットで調べるまで同じ病気の人がいるとは思わなかった」や、「私も同じ右耳が小耳症です」「読んでいて、あーあるある、と思ってしまいました」などの感想をいただくことがあります。

その経験から、ネット全体への影響力は全然なくとも、情報を必要としている人には何かが伝わるんじゃないか、という風に感じ、「矢を放つ」といったイメージを持つようになりましたね。


ここでは、受け取る対象のことを念頭に置いて書くこと、そしてそれに受け取ってくれる人がいるということ、を学びました。



種を蒔く

まぁ、そうした経験があったものの、http://shojisho.nobody.jp/ ではタグも手打ちでやっていたりしたので、いい加減 面倒になり、もっと楽に更新できないかなー、と2004年3月からはてなダイアリーを利用し始めるようになりました。

当初は サブ日記的な扱いで、補遺や補助を目的に書いていたのですが、気がつけばどっぷりとはてなーになってしまい(笑)、いつの間にかダイアリーの方がメインになってきています。


そうすると、こちらはブログ形式ですから、なかなか過去ログは参照されなくなりましたね*2

アクセス数は、以前のページに比べれば増えましたが、ほとんどが最新の更新のみチェックされて、過去ログはそのまま*3


Webに文章を書く、ということは比喩でもなんでもなく「全世界に向けて情報を発信する」ことではありますが、実情はそれほど多くの人に触れるわけではないわけで。可能性としては世界中の誰でもアクセスできるかもしれませんが、ほとんどの文章は読まれることもなく、過去ログとして残っているだけです。


ただ、たまにではありますが、やはり小耳症過去に書いたエントリーについて、反響があったりします。これはまだまだネット上に小耳症についての情報が少ない、書いている人が少ない*4、ということもあって、過去エントリーであっても検索結果に載りやすい、ということもあるでしょう、そうした1年前、2年前に何気なく書いた文章について、メールコメントで反応があると嬉しいものです。

他にも随分前に書いたエントリコメントがついたり、ブックマークされたり、また、私の場合は画像転載OKしていることもあって、「本当に使ってもいいのですか?」といった問い合わせもありますが、そういうもの含めて何かしらの反応があると、書いて良かったなと思いますね。


書いた本人は、そのことを忘れることもあるんですが、ネットに長く残しておくことで、なにかの拍子に役立つのかもしれない、と感じたことから「種を蒔く」というイメージを持つようになりました。


ここでのイメージは、畑に種を蒔くというよりは、雑草が種子をばら撒くという方が近いです。

まずほとんどが、腐って土になってしまう、芽が出るだけでもとても稀なこと、という捉え方です。ブログの特徴としては、更新する労力がかなり低いことですから、まぁ一つ一つは完成度の低いものでも、書き続けているうちに一つか二つくらいは良いエントリーが書けるかなー、といった気構えで書いている、といったものです。


言わばどんどん適当になっている、とも。


ただ、それでも更新することによって、色々と実になってくるということもあるかもしれない、それは自分にとっても、ですが、読んでくれる人の心にも何かの種として届かないかな、と思いながら、今日もこんな文章を書いたりしています。


[]芽が出ること

「芽」という曖昧な喩えなんですが、これは別にブックマークされたとか、メールをもらったとか、コメントがついたとか、他人の評価だけではなくて、自分の中での意識の変化としても実感している部分です。


具体的に言えば、はてなダイアリーを使い始めた当初2004年は上でも触れた通り、小耳症のページを編集していたこともあって、その話題が多かったんですね。

毎日思いつくだけの小耳症にまつわる話を書いていこう、というコンセプトでダラダラと書いていました。でもいつの間にか、書いていくうちにもう飽きてしまったんですよね。確かに私は右耳が聞えない障害を持っていますが、正直なところ、生まれてからずっとそうですから、それが日常なのでそんなに意識しているわけじゃないので。

だから、しばらく小耳症に関する話題は更新していませんでした。


それが最近になって、書き散らした過去エントリーをまとめようかな、という気分になってきています。


未だにメールをいただいたりすることもそうなんですが、まぁ言ってしまえば 2004年エントリーなんてなかなか参照されないわけですし、なにより自分自身でも読み難いし、改めて読み返して見ると面白くないなー、と思ったりしているので、それらを再編集して、別のコンテンツにまとめようかなと作業をしています。


こうしたことが「芽」なのかな、というイメージですね。

自分でも忘れていたくらいの過去ログを、今になって編集し直したりしよう、なんていう心境が、ばら撒いた「種」から「芽が出てきた」という印象があります。


ま、でも、やはりダラダラとやる予定なので、年内にまとめるのは無理そうですがじっくりと「芽」を育てようかな、などと考えています。


[]何かに喩えること

上のエントリーでは Webに文章を載せることについて、喩えの話をしましたが、だからといってそのイメージにこだわっている、という訳ではないです。あくまで喩えは喩えですから。


ただ、「Webに文章を書く」ということが、何か別のものに置き換えないと、上手く自分の中で消化できないんですよね。

こうした新しい媒体が生まれてからは10年くらいしか経ってませんし、自分が使い出すようになったのも最近のことで、まだ慣れなく、未だに良く分らない部分が多いです。

なので喩えを持ち出さないと理解し難い。


これが、今の10代くらいになると、自然と生活の中に溶け込んでくるのでしょうから、ネットを「~なようなもの」ではなく、ネットとしてそのまま理解できるようになるのだろうと思いますね。


おそらく、電話テレビが普及し始めた頃も、当時の大人はなかなか受け入れ難かったでしょう。

私の世代は生まれた頃から合ったわけですから、それらを別のものにわざわざ喩えなくとも、そのものと意識しているように、これから当たり前のようにネットに触れる若い人には不要な感覚かもしれませんね。

*1:それは今でも変わりませんが

*2http://shojisho.nobody.jp/の方は絵日記形式で、文章が少ないこともあって、過去ログは比較的読まれることが多いです

*3:それが悪いということではなく、私自身もブログ以後はあまり過去ログを読まなくなりましたから、仕方ないなと。

*4小耳症に関連したブログは随分増えてきましたが 参考:http://r.hatena.ne.jp/rikuo/microtia/ そもそも、絶対数が多くはないですからね。

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